能代高校東京同窓会会報10号(2000)
投稿 私と同窓会 第14期・顧間 村木良二
 私の青春時代の思い出は重すぎた過去であった。
 旧制中学入学頃より、日本は次第に軍国主義に進み、大東亜共栄圏建設の声明、日支事変、太平洋戦争と進み、日本軍の真珠湾攻撃の報道の中に昭和18年中学卒業後、学徒動員、陸軍工兵学校に入隊後、東京大空襲、広島・長崎の原爆投下、沖縄に米軍上陸、南太平洋上に特攻機の攻撃(同級生も含む〉そして終戦。
 やれやれ平和が見えてきたと思っていると、学生運動としての東大紛争を始め、各種の学生紛争、同和問題など絶えず、日本の近代化と平和はどうなって進行するのか心配だった。
 しかし、一方では,全国高校野球大会、国民体育大会、全国高校総合体育大会などが開催され、スポーツによる平和運動が盛んになり、それは大変喜ばしいことだった。
昭和39年国立競技場が新設され、オリンピック東京大会が開催され、メインボールに日の丸と各国国旗、そして君が代が演奏され、平和が見えてきたなと安心し、新生日本の姿か見えてきたと考えて居ったところ、平和としてのシンボルの日の丸、君が代が各議会で討論されている現在、私自身75才の年令からか、頭が硬いのか、軟化したのか不明ですので、ご指導戴ければ幸いです。
樽子山校舎に入学した私達であったが、敗戦後の時代の激変は、私達の生き方を変え、分岐させた同級生、同窓と袂を分かって卒業後の50年後に再会し、現在の東京同窓会はその間の人生の歩みを、旧友、後輩の真撃な歩みに対する理解と尊敬を新しくすると共に、自らの歩みに対し、皆さんの意義を再発見、見出せばと期待を持って同窓会に参加させて戴いております。
 あわせて在学中にお世話になった諸先生方に厚くお礼申しあげます。
 私達が能代高校の東京同窓会の名簿に掲げられ、能代高校に学んだことを誇りとして忘れない限り、母校は永遠であると信じております。

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