会報第15号(P9)

寄稿2
我が来し方を思う 第26期 畠山 信孝
 我が母校も今年で創立80周年を迎えることは慶ばしい限りである。
 戦後の混乱止めやらぬ昭和28年4月、私達26期(新8期生)は希望と期待に胸をふくらませて入学した。ノンポリの在郷のいなか者が驚ろかされたのは、入学時にすでに自分の希望大学をもってつき進んでいる同期生のすがたを見るに及び愕然とすると同時に何と自分は田舎者よと思わざるを得なかった。そのショックはやがて受験競争の地獄の戦線につながって行く。
 昭和31年3月に卒業し東京へ。そして、最早、戦后ではないという池田内閣の所得倍増政策の昭和35年に大学を卒業した。いや応なく高度成長の波の中に企業の先兵として組み込まれ、家族帯同で転居すること11回。東京を皮切りに、関東甲信越、北陸地方と知人親せき一つとしてない未知の地に新規開拓要員として舞いおりて行く。本人は企業興亡の使命感に燃えて行くから生きがいもあるが、同伴する家族にとってはたまったものではない。幸いにして愚痴一つこぼさず陰でささえてくれた妻には今さらながら感謝すると共に、それにも増して子供達は転校に次ぐ転校でさぞかし苦労もあったであろう。その心情を察して余り在るものがある。しかし、曲りもせず人並みに成人してくれた事は、せめてもの幸いに思う。土地神話、終身雇用神話の時代の最後のランナーとして平成9年60才の定年のテープをきった。この間日本も世界有数の経済大国にまで成長したが、一方では青少年の犯罪、企業モラルの低下、今やあらゆる局面に於て指導層の精神喪失が現われている。これがバブル後の日本が果てしなく墜ちて行っている要因でもあろうか。豊かさを追求する事のみに専念し、何か大切なものを怠り、忘れて来たのではないかと慙愧と反省の念にかられる。
 幸いにして定年後も県人会、同窓会、その他の団体にかかわる機会を得、これらの場を通じていささかでも是正し貢献できればと祈りながら活動している昨今である。
 1年有余をもって古希を迎える身なれども「臨終を習うて諸事を決すべし」のたとえのごとく、臨終を定年と心に定めた。真に日本民族に立脚した日本精神と誇りを取りもどす為、失われた戦後60年の空白をうめるべくその活動に生ある限りの人生を走り続けるであろう。東京同窓会設立に尽力された先人の努力を無にすることなく、継続は力なりの信念に於て、これから続々と続くであろう後輩を信じて、今後とも老骨にむち打ちながらも陰ながら応援して参りたいと思う。来たるべき時代に向けて飛翔する能代高校東京同窓会に栄光あれ。

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