以下は当HP掲示板に小野信継氏(通算35期E)が書き込んだ文章の再掲です。(00.07.02)

能代高等学校校歌誕生秘話

校友会誌第二号(能代中学校)が秋元先生から送られてきました。その中に今福兼蔵先生の校歌に関する記事がありますので少々長いのですが以下に書きとめます。


大正15年7月、君たちの学級自冶会は校歌制定の件を満場一致で議決した。歌詞は知名の大家に作って貰う事となった。そして選びあげられたのが現代の国文学の大家 東京帝大の藤村博士である。私(今福兼蔵先生)は夏休みに藤村先生に依頼する事を命じられて上京した。その時先生は病気保養の為信州の温泉場に居られたが幸にも講習会に出られるので帰京された機会に私は君達(能代中学校生)の意を通じて御願い申したのである。
先生は土地の状況もわからぬし、健康もすぐれないからとの理由で辞退されたが、私(今福先生)は土地の様子を簡単にお話し、次の様な文句をならべた紙片を差し出してたって御願ひ申したのであった。

1、そのかみ遠し数千年   あまたの武人英雄が
  早くも来り開拓の     偉業は永久に赫々と
  残るや清き米代の    水は盡きせず滾々と
  歴史の影をうつしつつ  常に若やぎ流れ行く


2、み空につづく日本海    沖をはるかにシベリヤの
  風がもてくる巨波を    生れ落つれば身に浴びて
  こりかたまりし海国の   不屈不撓の大和魂
  肢体にみなぎる快男児  その意気高く天をつく

3、不変の相そのままの   この高陵の樽子山
  松の緑の学び舎に    かはらぬ操香はしく
  文武の道を一途に    皇国の為に竭しなば
  如何に雲居は遠くとも  とどかでやまんや揚げひばり

4、つとめよはげめよわが友よ 明治の帝のみさとしを
  深く心に銘しつゝ       先進の意気身にしめて
  理想の光明仰ぎなば    天地万象皆我が師
  いざや正義のほことりて  尊き使命はたさなん

これは校長先生の御意見も承つて、私が上京の車中で言葉をならべたのだが 無論歌になって居ない。現在見ると冷や汗が出る。 だが藤村先生は明日までに返事をするとおっしやった。
私は宿に帰って 次の日の御返事を待ちあぐんで居た。次の日先生から <とに角おひき うけする> という御返事を得た時私は飛び立つ程うれしかった。 それから約3週間(落成式に間に合わせる為いそいで願ったのである) 先生は病をおして能中校歌に心をこらされ現在の校歌が出来上ったのだ。


inserted by FC2 system