会報第12号(P17)

桧山の古刹〜多宝院のこと〜
第25期(新7期) 佐藤信樹
 わたしが子供のころ、お盆の墓参りに家族と連れ立って、能代から桧山の多宝院まで約3里の道のりは、石ころ道をてくてく歩いておよそ3時間かかった。多宝院に着くと、外から入った庫裏は薄暗く、お大黒さんがにこやかな笑顔で迎えてくれて「大儀だったんすな」と言っては赤ずしを振る舞ってくれたものだ。その時の味が忘れられなくて、今でもわたしの好物の一つとなっている。
 さて、古刹多宝院に触れることになるが、同寺は今からちょうど400年前の慶長7年、佐竹氏の秋田入部にともない客分として桧山郡を治めることになった、下総国(茨城県)下妻城主の多賀谷宣家公が、この地を一族終生の地として下妻から移し、菩提寺とした由緒ある寺院である。
 現在の建物は火災消失後の明和8年(1771年)に再建されたもので、それからでも230年余りの歳月と風雪に耐えてきた。
 なにしろ能代湊が発達する以前の中世、桧山安東氏時代から栄えた町だけに、史蹟、遺構は多い地域なのだが、現存する構造物の中でも多宝院の伽藍は、山門、鐘楼、本堂とも貴重なもので、秋田県の指定有形文化財となっている。本堂の廊下は、今ではあまり鳴らなくなってしまったけれども、東北では珍しいウグイス張り、庭園は、京都東山の銀閣寺を模したといわれる深い緑が、訪れる人びとの心に安らぎと癒しを与えてくれる。
 また、春4月下旬に咲くしだれ桜は、あたかも美しいシャワーのように歴史を刻んだ寺院を彩り、近隣から多くの花見客が訪れて一ときの賑わいをみせる。
 ことし早春の3月、畠会長たちが関東のしろ会からのしだれ桜の苗木を贈ってくれて、壇信徒の手で植栽された。いずれ年月が経つにつれ、ふだんは森閑とした多宝院の境内を一層艶やかに引き立ててくれることだろう。
※佐藤氏は、1994年に「湖が燃えた日」で魁文学賞を受賞し、本年6月、秋田文化出版から短編集「塋地(えいち)」を出版されました。
能代市松美町在住。  

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