会報第12号(P15)

気がつけば半生を語ってしまっていたわたし
―映画ファンから映画 (会社) 人生へ―
第53期生(新35期) 吉田 順
 1983年に能代高校を卒業しました吉田といいます。わたしたちの頃は何期とかいう概念がなかったので、「何期?」と聞かれても困っちゃいます。能代高校東京同窓会に関わるようになって、自分が新35期生というものらしいということがわかりました。
 それはさておき、その後中央大学法学部を卒業し現在の東映株式会社に入社しました。中央といえば司法試験か公務員。ごたぶんにもれず、わたしの大学の同期もほとんど公務員です。わたしだけが変り種なんですね。
 しかし、大学時代から映画を観て歩くことに青春をかけていたわたしには別に不思議なことでもなかったわけです。自分でいうのもなんですが大学時代にはよく勉強しました。その合間をぬって観て歩いたので、年間100本ぐらいのペースで観ましたかね。会社に入ると当然のように上には上がいるもので、年間300本、400本ペースで観て歩いたというつわものがいました。ほぼ、毎日映画を観てたわけですよね。一見不可能に見えるこの数字ですが、実はポルノ映画までくまなく観ると可能なんですね。短くて2本立てだから。学校は行ってたのかよ、と思うのですが、まあ、人ぞれぞれですから。
 映画会社に入ったものの人生とはうまくいかんもので、最初の配属先は経理部でした。その頃はまず、就職して自分で食えるようになることがまず第一でしたので、配属とかは考えてなかったのですが、いざ、毎日がそういう仕事となると、これじゃ公務員と変わらんなと。民間会社に入った意味ね−じゃんと思うようになりました。会社の金で簿記3級とかがとれて、貸借・損益とかがわかるようになったので、まったく無駄ではなかったのですが、そのうち欲が出てきました。
 脚本らしきものを書いてみたり、その手の賞に応募してみたり、そして、異動願いを出したりと、しているうちにあがきが認められて、映画の企画部門に異動になりました。
 喜んだのもつかの間、実はだましみたいなもんで、「東映音楽出版」という子会社をたちあげるのに経理がわかる人間が欲しかっただけだったのです。音楽にはいろいろな権利がありまして、説明するとめんどくさくなるのですが、この会社は主に映画の背景音楽(BGM)の製作と権利の管理をする会社です。ところが、これがおもしろかったんですねー。何もないところから会社を立ち上げるというのは大変なようで、自分の好きなようにいろいろできるんですから。「音楽著作権管理者」なるナゾの資格までとってしまいました。
 ところが、不思議なもので、たちあげてる最中はおもしろいのですが、ルーティンにのってくるとつまらなくなるんですよね。「なんかつまんなくなってきたし、めんどくさいこと多くなってきたなー」と、思ったところで、いい口実ができたので、足抜けしちゃいました。
 そのあと、企画に戻ったわたしは仕事がなくてひまでしばらく遊んでおりました。しかし、おせっかいなことにというか、いい人なんでしょうが、そういう遊んでる人を働かそうと思う人がいるんですよね、会社って。あたりまえか。
 それで、いまは何をやっているかというと、主に映画の製作提携契約担当です。昔と違って、映画会社が1社で映画1本をつくるということがなくなってしまいました。リスクヘッジというやつです。少ない時で3社、多いときには10社もが集まってお金をだしあって1本の映画をつくるようになりました。製作委員会方式というものです。これにあたっては、いつ、いくら払ってもらえるのか、そして、それにあたってはどういう権利が欲しいとかいろいろあって、そこらへんの交通整理をして契約にこぎつけます。結局、法学部出身は法律なのね、みたいなおちになってしまいました。
 いまやっている仕事のことを書こうと思いつつ、そこにいたるまでにこんなにページをとってしまいました。いまの仕事についてはまたの機会ということで。 11月16日全国東映系公開、優香主演の「恋に唄えば♪」では製作委員会の一員として、エンドロールにババーンとわたしの名前が出ていますので、ぜひ、観てやってくださいませ。  

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